天神町は私が幼少期を過ごした小さな田舎町です。
となり町との境には可愛い小川が流れていて、その小川と幹線道路に挟まれた狭い空間に
小さな家が十数軒こじんまりと肩寄せ合ってコミュニティを形成しておりました。
今から60年以上前、昭和30年代の話です。大昔ではありませんが、子昔ぐらいですかね。

ご近所
その当時、私の家族は借家に住んでいたのですが、2階建ての建物の一階部分だけを借りていて、2階には別の家族が住んでいました。
2階に上がる階段は外にあって、私はしょっちゅうその階段を上がって2階の家に遊びに行っていました。
いきなり行っても迷惑がられることもなく、その家のおばさんは、
いつも笑顔で迎えてくれました。
おぼさんが、今では全く見かけなくなった鰹節削りの箱で、鰹節を削っていた光景が鮮明に思い出されます。
2階の家族には私と同い年くらいの女の子がいて、よく一緒に遊びました。
その子も、特に断りもなく一階の我が家に遊びに来るのでした。
当時はそんな近所付き合いが当たり前のことでした。
どこの家も全員が外出する時以外は鍵をかけていなかったと思います。

2軒離れたところに『よろず屋さん』がありました。
そこには、ほうきから、洗濯用の石鹸から、亀の子ダワシから、缶詰から、駄菓子まで、
生鮮食品を除いて、生活に必要な物がなんでも売られていました。
今でいうスーパーとホームセンターを兼ねたような物でしょうか。
その店には私より2つくらい年下の男の子がいて、やはりよく遊んでいました。
ただ、その子と喧嘩をすると、その当時の私にとっては大きなデメリットが発生してしまうのでした。
お菓子を買えなくなるという恐るべき事態が引き起こされてしまうのです。
当時、私は、特にそこで売っていた、半分が白いミルク味(当時、私の世界には『バニラ』という物は存在していませんでした)で、半分がチョコレート味の棒アイスが大好きで、母親にもらうお小遣いで、時々そのアイスを買って食べるのが楽しみだったのです。
値段は15円だったと思います。その棒アイスが買えなくなるのは死活問題でした。
なので、『よろず屋さん』ちの子との喧嘩は長引かせずに、すぐに仲直りするようにしていました。
大好きな棒アイスでしたが、あまり買い食いをすると叱られるので、そのアイスを買うと、母親に見つからないように家から小川にそって50メートルくらい離れたところにかかっている橋まで行って、その橋の手すりもたれながらアイスを食べました。それは至福の時間でした。
橋のたもとには小さなお稲荷さんがありましたが、ひょっとするとそれが町名の由来である天神様だったのかもしれません。

町内の人は皆顔見知りで、とても親切でした。
我が家では、回覧板(町内の行事や、注意事項を記載してある紙を止めている薄い板で、それを町内で順番に回して情報を周知するのです)を次の家に回すのは私の役目でしたが、母親から回覧板を預かると、私は大喜びで次の家に渡しに行くのです。
なぜなら、私から回覧板を受け取るのは食堂をやっているお店で、
そこのおばさんは、私が回覧板を届けると「はい、ありがとう、これはお駄賃ね」と言って、いつも揚げたてのサツマイモの天ぷらを2、3個新聞紙にくるんで渡してくれるのですから。
それがまた、とても甘くておいしかったことを覚えています。

日々の暮らし
当時の私は、昼間は近所の子供達と遊び、夜は家でテレビを見て、そして、寝るというルーティンを繰り返す日々を
送っていました。
テレビはブラウン管の白黒テレビで、私は『マイティ・ハーキュリー』というアメリカのアニメが好きでした。
ギリシャの英雄、マイティ・ハーキュリーが悪人を懲らしめるという単純な話で、主人公のマイティ・ハーキュリーはムキムキのマッチョでした。
牛乳販売促進だったのか、メーカーとタイアップしていたのか、ハーキュリーが牛乳を飲むシーンが必ず挿入されていました。
牛乳を飲めば、あんな立派な身体になれると刷り込まれたので、一生懸命牛乳を飲みました。
当時牛乳は、家の玄関にある牛乳入れに、毎朝自転車に乗った牛乳屋さんが届けてくれて、その牛乳を冷蔵庫に入れる前に箱から出して飲んでいました。
(この話を書く前に調べたら、マイティ・ハーキュリーの牛乳の話は『こち亀』にもあったようです)。
ちなみに、家の冷蔵庫はワンドアで、今のような冷凍室も野菜室も備わっていませんでした。
おじいちゃんの家の冷蔵庫にいたっては、2段の木でできた箱で、上段に大きな氷を入れて、その冷気で下段の食品を冷やすという仕組みでした。当然、氷は溶けていくので、
毎日氷屋さんが氷を届けてくれるのです。
父親が仕事から帰って来ると、テレビのチャンネル権
(懐かしい!)は父親の物に切り替わり、父親は、ボクシングばかり見ていた記憶があります。
ボクシングの選手が殴りあう映像は、臆病な私にはただでさえ怖ろしく思えるのに、白黒画面で見ると、なおさら迫力が増して、父親に付き合って見てはいましたが、私はなるべく画面を見ないようにしていたのでしが。

家電と言えば、洗濯機は脱水機能も乾燥機能も当たり前に付いていませんでした。
洗濯機の横に2本のローラーが付いていて、そこに洗い上がった洗濯物を挟んで手でそれを回しながら絞ることで、水分を排出する仕組みでした。
当時はそれが洗濯機として当たり前の機能だったので、ぎゅっと絞ると衣類が痛んでしますのではないかと心配する人はいなかったと思います。
私は、母がローラーを回して洗濯物を絞ると、ローラーからぺしゃんこになった洗濯物が出てくるのを、面白がって見ていました。

紙芝居
テレビ以外の娯楽では、時々、紙芝居屋さんが回ってくるのが楽しみでした。
紙芝居屋さんは町の狭いメインストリートの真ん中に自転車を止めると、荷台に載せていた紙芝居の入った箱を
組み立てます。
そして、「紙芝居だよ~」と声を上げると、町内の子供達が一斉に集まってくるのでした。
紙芝居屋のおじさんは、集まった子供達に、まず、飴を売ります。
紙芝居の入った箱の下の引き出しには透明でにゅるんとした飴が入っていて、
おじさんはそれを売るのです。(衛生的にどうとかいう事は、誰も、少しも考えたりしませんでした)。
その飴には割りばしが付いていて、飴を割りばしに巻きつけて、ぐるぐる回すと、空気を含んで白くなっていきます。そうやって練った飴をなめながら紙芝居を見るのでした。
おじさんは、「はい、みんな飴を買ってね。買わない子は見ちゃだめだよ」と言うのですが、
子供達のお小遣いの予算には限りがあるので、毎回は買うことはなかなかできませんでした。
それでも、おじさんは、買わないことを特に咎めたりしないで、紙芝居を見せてくれました。
演目は『黄金バット』しか記憶にはありません。でも、毎回楽しみでした。

大事件
そんな平和な天神町に大事件が起きました。
いつものように子供達が集まって遊んでいた時に、一人の女の子が持っていた紙製の着せ替え人形の腕を、
ある男の子がちぎってしまったのです。
当時は『リカちゃん』のような、おしゃれで立体的な人形はまだ誕生していませんでした。
『だっこちゃん』という腕にしがみつく人形は存在していましたが、着せ替えをしたり、
ままごとに参加させたりするのは、平面的な紙の人形で、その人形専用の紙の服もセットになっていました。
当時の女の子達はその紙人形で遊んでいたのです。
大切な遊び相手だったのだと思います。
その大切な遊び相手の手をちぎってしまったのですから、それは大事件でした。
町内全ての子供と、そのお母さんが招集されて、ある親子の家(町内会長か、ボス的お母さんだったのか、
その時の私には理解できていませんでした)に集合しました。
私も母と共に参加しました。
被害者の女の子は泣きじゃくっていました。
紙人形の腕をちぎってしまった男の子とそのお母さんはうつむいていました。
どうしたら良いかという話し合いが始まりました。
参加していた私には、その話し合いがどうなるのかは見当もつきませんでした。
重い沈黙が長く続いたと記憶しています。
そして、あるお母さんが「ちぎれた腕を、ご飯粒でくっつけたらいいんじゃないの?」
という提案がなされました。
そこにいるお母さん達全員がその提案に飛びついて賛成しました。
幸い、ちぎれた腕も大切に保管されていたのです。
それで、めでたく事件は解決したのでした。(その当時、ご飯粒は最強の接着剤でした)。
今考えると、だれも「弁償しろ」とか言わなかったのが、昭和の田舎町っぽくていいなと思えます。

覚醒のランウェイ
毎日ゆったりとした時間が流れ、同じ出来事が繰り返されていた天神町の日々でしたが、ある日、そんなゆるやかに
たゆたっていた時間の歩みを一気に進める出来事が起きました。
いつも一緒に遊んでいる子供達の中に、はじまちゃんという男の子がいたのですが、
その子が、ある日突然、Tシャツを着て天神町のメインストリートに現れたのです。
その当時は、下着か上着かわからないような白っぽいランニングシャツを着ている子がほとんどでしたから、
そこに登場したTシャツ姿のはじめちゃんは、実にエポックメイキングな存在だったのです。
さらに驚愕したのは、そのTシャツの背中に、英語で『STOP』 と書かれていたことです。
はじめちゃんは自分が天神町に、どれだけセンセーショナルな出来事を引き起こしたのか、はっきりと自覚していて、その当時、車が通る事が皆無だった天神町のメインストリートのど真ん中を、今思い返すと、まるでランウェイを歩く
モデルのように、見られていることを意識しながら、ゆっくりと歩いていたのでした。
それを目ざとく見つけた近所のおばさん達は、みんな、はじめちゃんに向かって、歌舞伎の常連が花道の役所に声をかけるように、「はじめちゃんストップ!」と呼びかけました。
するとはじめちゃんは、見栄を切る千両役者のように、ピタッと止まって見せます。
そして、十分 ‘ため’ た後、再び歩き始めます。そして、メインストリートのはじまで行くと、またとって返して
ゆっくりと歩き出します。そして、おばさん達は再び「はじめちゃんストップ!」と声をかけます。
私を含めて、完全に脇役と化したその他の子供達は、それを羨望の眼差しで見つめるより他にありませんでした。
はじめちゃんとおばさん達の掛け合いは延々と続いたのでした。

茜色がさざめく空
夏の終わりになると、小川の上には無数の赤とんぼが飛び交う幻想的な光景が広がります。
私はそれを飽きもせずに何時間も眺めていました。
それが天神町を象徴する最後の風景でした。
赤とんぼの舞う空を眺めていた何回目かの夏の終わりに、私の家族の引っ越しが決まり、
天神町を後にしたのです。

天神町の記憶
柔らかな日差しが、けらけらと笑いかけるようにそそいでいて、
誰にも、急ぎなさいと、背中を押されることもなくて、もう少し遊んでいたかったという
名残と共に思い出される天神町の午後の2時。
携帯もネットも、その他効率の良い便利さが、するりと無かったけれど、とてもかろやかだったその記憶は、
見えない誰かと競うようにはや足で過ぎていく今の日常に、少し疲れを感じた時に、私の中に、
ゆらゆらと浮かんでくる、優しい蜃気楼のような思い出なのです。
Written by Toru

